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一喝された小学生の記憶、大人になった今でも守り続ける「言わない」という美学

ちょうど選挙も近づいており、さまざまなメディアであーでもない、こーでもないと様々なことを報道している。

そのほとんどは議席予想だが、あれも電話だったり街頭インタビューで声を拾って集計しているのだろう。

先日もたまたま街中で、どこかのYouTuberが選挙でどこに投票しますかとインタビューをし、ボードにシールを貼ってもらっていた。

そんな光景を見て、ふと思い出したことがある。

私は個人的に、どこに投票したのか質問されても絶対に答えないのだが、それは幼少期に受けた両親からの影響が非常に大きい。

本当は匿名だったら構わないのだろうが、それでもなんとなく答えることに躊躇してしまうのである。

私が選挙でどこに投票するか今でも答えない理由

よくテレビなどの街頭インタビューで、どこに投票するのかと質問されて、普通に回答している光景を目にするが、よく平気で自分がどこに入れるのか答えられるなあと感心してしまう。

私は今でも、どこに投票すると質問されても誰にも答えたくない。

そうなった理由は、私が小学生の頃の体験に基づく。

 

私の両親は秘密主義者で、選挙でどこに投票したのか絶対に答えなかった。

今でも覚えているのが、小学生の時に興味本位で「誰に投票したの?」質問したところ、「言わない!」と一喝されてしまった!

理由を聞くと、そもそも選挙でどこに投票するのか答える必要なんかないの一点張り。

この点は両親ともに徹底しており、今まで一度も答えてもらったことがない。

そのような影響を受けたせいか、どこに投票したかという質問をされても、誰にも答えなくなった。それが電話や街頭の調査だった場合でも拒否している。

無記名の選挙制度なら、どこに投票したかなど答える筋合いはない

幼少期の印象が強いとアラフィフになった今でも、その影響が今でも残ってしまうものだなあと実感している。

でも冷静に考えたら、選挙にどこに投票したなんてペラペラ答える必要はないのは、ある意味当然と言える。

日本の国政選挙は無記名投票なので、誰がどこに投票したということを問われない、それならば別に答えようが、答えまいが自由である。

さらに、最近は企業などのコンプライアンスで国籍、支持政党、宗教などのセンシティブな情報での差別禁止を謳っているので、自らそういうことを公言する必要すらない。

 

私の両親は、必要でないことを話さないタイプだったため、私もその主義を受け継いでいると言える。

そして、自分が聞かれるのが嫌なことは相手にも聞けないため、人のことをあまり掘り下げて聞けなくなってしまった。

これが良いかどうかはわからないが、今のところトラブルなく生きているので、大丈夫なのだろう。

ただ、私自身も秘密主義が過ぎて、自分のことをあまり語らないようになってしまった。

幼少期の体験から、余計な詮索をするのは失礼だという気持ちが強く、人にも聞けないし、自分からも積極的に語れない。

そして、匿名での開票調査ですら、答えるのに抵抗がある人間になってしまった(ただし、お礼などがもらえるアンケートは別である)。

果たして、これが正しいのかどうかはわからないが、答えないからと言って特に困ることもないので、今のままで良いのかなと思っている。