アントニオ猪木「道」の元ネタは一休宗純ではなく清沢哲夫という事実

記事内に広告が含まれています。

アントニオ猪木の座右の銘として知られ、時折本人もイベントなどで朗読することもある「道」。

この詩はもともと一休宗純(一休さん)が遺した言葉から引用したといわれておりましたが、実際は違うようです。

私もつい最近まで一休の言葉と認識していたのですが、調べてみると別の人物が書いたものであることがわかっております。

今回はアントニオ猪木の「道」の元ネタについて取り上げます。

アントニオ猪木の「道」は一球ではなく清沢哲夫の詩をもとに作られた

「道」はアントニオ猪木の引退試合で初めて披露され、その後は本人がイベントなどで朗読することもあります。

この道を行けば
どうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし

踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる

迷わず行けよ
行けばわかるさ

この詩は猪木の生き様そのものを表しており、新日本プロレスの道場にも貼られていたはずです。

 

この詩は、長年一休宗純の言葉が元になっていると信じられておりましたが、実は清沢哲夫さん(1921〜2000)という宗教家・哲学者が書いたものとわかっております。

住職の子供として生まれた清沢が実家の寺と対立し、当時慕っていた師の言葉で迷いを断ち切られて実家の寺を出る決意を固めます。

その時の心境を、ゲーテ『ファウスト』の中の「母達の場」におけるメフィストフェレスとファウストの「歩いたもののない、歩かれぬ道」をめぐる対話をひいて、虚無の只中に前進するしかない世界の展開、自己発見として語ったものです。

昭和26年(1951年)に発表され、その後昭和41年(1966年)の著書「無常断章」にも掲載されております。

 

猪木の引退当時、本人が一休の言葉と誤解したものが広まりましたが、その後は清沢の詩が出典であることが知られるようになりました。

詳しくは以下のページも参照ください。

アントニオ猪木の名言は永遠に

晩年のアントニオ猪木は病気との戦いで、リハビリをする姿などが公式YouTubeチャンネルやNHKのドキュメント特番でも放送されていました。

これだけ痛々しい姿を見るのは忍びなく、猪木本人も葛藤があったことでしょう。

しかし猪木は世間から何を求められているのかをよくわかっており、それをするのが自分の宿命だと感じたのでしょう。

その姿は色々と考えさせられるものでした。

 

懸命に病気と戦っていましたが、とうとう力尽きてしまいました。

でも、猪木が残した功績をはじめ、数々の名言はこの先もずっと語り継がれることでしょう。